RAMBOⅢ 誕生秘話
リーダー、ランボー古澤が語る、自らのミュージック・ライフとこのバンドに懸ける思いと期待。
如何にしてこのバンドが生まれ、成長していくのか? いわばプチ自伝。
どうぞお楽しみあれ!
(この記は2009年当時の投稿をそのままアップしています。)
{プロローグ}
学芸会でクレイジー・キャッツの「スーダラ節」、青島幸雄の「ヘイコラ・チョンボ」を振りつきで歌い先生に怒られる。
小学校5年生のときに観た「エレキの若大将」に子供ながら衝撃を受け加山雄三・ベンチャーズに憧れ自分で楽器を扱う事
に目覚める。
だが当時は”エレキギター”と言うと高嶺の花でありエレキを持っているだけで女の子にもて、エレキを持つと不良になる、
と言われた時代でもありました。
そして、ビートルズの来日。
{激動の中学・高校時代}
警固中学に進学した頃、ヴェトナム戦争やTVのニュースで流れていて、同級生や周りの環境下での影響で、ロック・ミュージックや女の子に目覚めはじめる。(モンキーズ、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング、ジャニス・ジョップリン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、 同級生、下級生や先輩女子など等)この頃、自分のバンドを作ることに夢を見始める。(歌詩の内容もわからず、カタカナ英語で嘘ばっかりよく歌ってた)
今、思うと、既に亡くなり伝説となっている偉大なミュージシャン達をTV番組、ラジオ番組あるいは米軍放送のFENなどでリアル・タイム体験していた事は本当に幸せなことであり、ロックに携わる自分としては、非常に光栄に思う。
・・・ランボー談
高校に進学すると今まで以上に音楽情報が集まりだし、周りの環境もより音楽一辺倒へと(女の子への興味とともに)変化してゆく。例えば、○○高校の誰それは〜を弾けるらしい、とか、○○地区で一番上手いらしい、とか、あの女子高の○○さんは可愛いとか、今度の下級生に綺麗なのがおる、とか、とか、とか。
{ロックコンサート・コンテスト}
この頃、ロック・コンサートやロック・コンテストなども巷でよく行われており、少年ランボーもたぶんにもれず、色々と顔を出すのでした。中でも忘れられないのが、旧岩田屋の本館7階で行われたコンテスト。(この頃は、Lモーションや○○などは未だ無かったと思う。)出場者数も勿論の事ながら、お客さんの数が凄かった!!(当時、ニュース、新聞等にも載ったと思う。)その中には気になってた彼女も・・・
曲は何を演ったかは覚えてないが、背中で弾いたり、歯で弾くパフォーマンスを演ったのはよく覚えている。
・・・ランボー談
結果は初めて出演したコンテストで、なんと、堂々の3位でした! (優勝は、かの、博多仲良し会ブルース・バンド)
{そんな、こんなで・・・}
大学生のときに英国のロンドン大学に留学し、帰国後、なお一層、音楽の世界に没頭し、音楽喫茶「照和」をはじめ、中州のディスコ、キャバレー、クラブなどに出演し始めるのもこの時期でした。そんな折、音楽喫茶「照和」出演中のランボー達に、ある音楽会社から声が掛かりデビューの話が出たのもこの頃で・・・、
若かったと言うか、世間を知らな過ぎたというか・・・。
・・・ランボー談
{突然の入院生活}
時代は一気に繰り上がり、今から5年前・・・。
ある事がきっかけで、TV番組やラジオ番組にレギュラー出演するようになり、順風満帆かに見えた時にバイク事故。
左片足、股関節、左鎖骨などを骨折。 左足に至っては膝下から切り落とす、とまで言われたが、入院先の先生方の努力のおかげで、人工骨の移植、自骨の移植などのかいあって落とさずに済みました。1年半の入院生活、半年の自宅療養で、最初の1年間で、6回の全身麻酔手術。
もう、手術はいい・・・。
・・・ランボー談
この入院生活のおかげで、自分を見つめ直す事ができ、残りの人生を音楽に捧げる覚悟が出来たと思う。と言うのも、落ち込んでる自分に、ある人からの言葉が大きく勇気を与えてくれたからだ。
「ケガ、大変やったね。身体半分に機械が入ってサイボーグのごた〜ね。
死んでもおかしくない大事故やったっちゃろ、あと、あたしが面倒みちゃろーか?
でもね、ランボー、そげん落ち込んどってもしょうがなかろ。身体はズタズタになってもさ、
両手はどげんもなって無いっちゃろ。
あたし思うけど、ランボーがやり残しとる事があるけん、せないかん事があるけん、
たぶん神様が、ご先祖様が守ってくれたとよ。両手がどうも無いって事は・・・、せないかんって事は・・・。
ランボーやったら、もう、わかっとろうが。」
今、思い出しても不思議なのは、この言葉をいつ、誰が語りかけてくれたのかが、わからない・・・。
でも・・・、確実に頭の中に残ってる・・・。
・・・ランボー談
~第2章~ RAMBOⅢの誕生。
{再び、ロックンロールを!!}
ようやく退院し、身体のリハビリも終息に近付いた頃、音楽でのリハビリに力を貸してくれたのが、元サン・ハウス、
現、山善バンドの名ドラマー、「鬼平・坂田さん」と山善バンドの名ベーシスト、「正木和夫」のご両人でした。
活動を再開するべくメンバー探しへの奔走が始まる。
始めからパワー・トリオ編成にしようと考えていたので、ベース、ドラムを探し始めたけど・・・、いない・・・。
知り合いを通じて、いろんなライブ・ハウスやコンサートなどにも顔を出したけど・・・、いない・・・。
・・・ランボー談
そんな時、ある友人から耳寄りな情報が。
以前、「鬼平・坂田さん」と同じバンドでベースを弾いていた「ジャック・堺さん」が空いてるという。
俺としては、そのバンドの凄さもよく知っており、何度か堺さんとも一緒に演ったこともあり、「この人であれば」との思いで早速、連絡をとったところ、幸運にも「OK]の返事。
後は、ドラム・・・(博多はギタリストはやっためたら多いが、何故か、ベースとドラムは不毛の地で非常に少なく、おいそれとは見つからないのが、博多の現状・・・)
{ジェイソンとの出会い}
その頃、ランボーは天神3丁目にあるライブ・ハウスへ毎週土曜日に出演していた。
そこは、国内外の有名ミュージシャンが訪れることでも有名で、福岡ドームでコンサートが終わった後の「米米クラブ」やブルー・ノートに来ていた「シーラ・E」、「ベンチャーズ」「ARBの白浜ひさし」「ポール・ジャクソン」
「ミッキー・吉野」、タワー・オブ・パワーの「デビット・ガリパルディ」などなど、思い出すのも大変なくらい色々なミュージシャンが訪れ、気軽にジャムったりセッションをやったりして楽しんでいた。
アイドル系の女の子とかも来てたけど、名前、しらん。
・・・ランボー談
何気に友達のミュージシャンと話をしてたら「そういえば、ジェイソンは何しようとかいな?」
との言葉に「あっ」と思い出したけど、俺のジェイソンに対するイメージとしては、
やたら重く、引きずるドラムっちゅうイメージしかなく、まだ、ピンときてなかった。
・・・ランボー談
いまだドラムは決まってなく、川島(現・シーナ&ロケット)に頼もうかなぁ、とか、勝山さん(元・イエロー・アッピール・バンド)に頼もうかなぁとか思ってた。
・・・ランボー談
川島に取り敢えず連絡をとって、話をしたら「OK」だったので、意気込んでいたら、ロケットの動きが思いもかけず速くなって、この話はパー。
意気消沈して、「堺さんにも声をかけとうし、早くせんとなぁ」と思いながら「ジェイソンと遊んでみよう」と。
と・こ・ろ・が・・・、
実際、音を出したとき、驚いた!!
そこには、ずっと探し求めよったドラマーが、俺の目の前に、ドラムの椅子に座っておったとよ。
その時の俺の気持ち、わかる?
まさに天にも上るっちゅう感じ!!
・・・ランボー談
{始動}
{{パワー・トリオ {第1期 Rambo }}
メンバーは次の3人であった。
G.&Vol.: ランボー・古澤
Bass : ジャック・堺
Drum : ジェイソン・華山
活動を始めたが、ジャック・堺さんの体調不良があり、6ヵ月後の5月にライブ・ハウス「ハート・ビート」において、
ただ1回のライブで終了。
ライブは1回しかしてないけど、ライブに至るまでのこの期間、堺さんの存在は非常にありがたかった。
・・・ランボー談
ランボー&ジェイソンのコンビはこの時点からスタートした、ともいえる。
〜第3章〜 暗礁 ...... そして、 ....... 現在。
{第2期 RAMBO Ⅲ }
G.&Vol.:ランボー古澤
Drum :ジェイソン・華山
Bass :杉岡 健太郎
新加入のベース、杉岡健太郎は以前、ムッシュ・かまやつ等のバックを努めるなど、リズム&ブルースを基調とした実力派ベーシストである。「ケンタローとも不思議な縁で、ジェイソンに「新しいベースが決まった。」と伝えたとき、
「あ、ケンタローさん、知っとうよ。」という返事。
俺もジェイソンも別々なところで、ケンタローと知り合いやったとよ。
なんか、みょーで、しかし、安心できるトライアングルやったね。
・・・ランボー談
ケンタローの加入と同時にバンドのスピードに加速がつきだしたのもこの頃からである。
ノリ、スピードとともに、最高やった。バンドにとって一番大事なのはリズムの立ち上りやけど・・・、
ギターはそれに乗かって行くだけ。俺のなかでも多分1,2を争うユニットやったと思う。
・・・ランボー談
しかし、このメンツも長続きはせず、約8ヶ月で終息へと向かう。が、この間にも以前以上にバンドに対するプラス・イメージ及びジェイソンに対する信頼度が高まったのもこの時期で、このユニットの賜物である事は間違いない。
このバンドも長くは続かんやったけど、1回のライブと1度ヤマハのコンテストに出た事がある。
ライブは本当に好評で、コンテストは九州大会まで行って、全国大会へのバンドが決定するところまで行った。
残念ながら、行けんかったけどね。
ばってん、この大会でジェイソンがベスト・ドラマー賞ばとったとよ。まるで、自分の事のごと嬉しかったねぇ。
そらぁ、本人が一番嬉しかったとは思うよ。コンテスト? これからもずっと挑戦して行くよ。
・・・ランボー談
{第3期 RAMBO Ⅲ }
やはり、博多はベース、ドラムが不毛の土地で、ケンタローなきあとのベーシスト探しに半年から8ヶ月の時間が経過している。「ジェイソンからの連絡で、知り合いから「息子を鍛えてもらえないか」とオファーがあったと。
年齢が21歳でプロ志向らしい。」って。
でも、21やろ、無理があるっちゃないかいな、って思うよね。音楽的にも・・・。
ばってん、会うだけ会ってみようかなと。
・・・ランボー談
とりあえず、セッションの日取りを決めて、当日・・・。
はっきり言って、なんやこれって思った。がっかりしたよね。時間とお金の無駄やないかいなって。
でも、2週間後にもう一度したときは、「えっ」って感じで・・・進歩が見えるし。
その場で半年後、11月1日のCBライブをブッキングした。
・・・ランボー談
リハーサルを繰り返す度に、毎回良くなってゆくって言うのは理想やけど、実際はそんなに上手くは行ってなかった。
大和が頑張っているのはわかっている。だけど、そんな一朝一夕で納得できるほどの成果は期待できん。・・・
おのず、あせり、迷い、戸惑いでいたずらに時間だけが過ぎて行く・・・。
そんな折、俺の気持ちを察したのか、ジェイソンが「ライブば一回してみろうか」と。
その場では賛成したけど、心の中では、本番までに時間が足りなさ過ぎる、との思いの方が強かった。
ばってん、その一言で、ある意味、心、気持ちの整理がついたのも事実やね。
時間は足らんけど、やれるとこまでやってみるか、と。
・・・ランボー談
{2009年9月20日 ライブハウス「ハート・ビート」}
ついに、新生「 RAMBO Ⅲ」のデヴュー・ライブがスタートした。
結果、お客さんたちの反応はよかった。成功やね。大和もついてきよったし、よう頑張りよった。
ただ、課題は山積みされたけど。
・・・ランボー談
こうして「Rambo Ⅲ」のデヴュー・ライブ」は終了した。
ランボーは言う。
大和を正式なメンバーとして迎え入れようと思ったのはこの時やった。大和には言ってなかったけどね。
・・・ランボー談
{新生「 RAMBO Ⅲ」の誕生}
・以下「Rambo Ⅲ」のライン・アップである。
G.&Vol.:ランボー古澤
Drum :ジェイソン・華山
Bass :大和“Racco”弘明